- 1 ひとり暮らしに戻ったら、SNSに浸るか孤独死する自信がある。
- 2 【住む側】なんかシェアハウスって、銀魂とかドタバタコメディに似てる。
- 3 【提供する側】我儘に自分が欲しいものを作ったら、人が喜んでくれた。最高じゃん。
- 4 【本編ここから】たったひとりでもいい。こんな自分を心から受け入れてくれる人がいれば。その人生は、生きるに値する。
- 5 「たく、またたびを作ってくれてありがとう」と涙した女の子の言葉が、今も胸に響いている。
- 6 もっと幸せそうな顔して笑ってくれよ。自分に嘘をついた顔して、笑うなよ。
- 7 花火ではないけどね。焚き火のような灯りがあなたまで届きますように。
- 8 世界は平凡か?未来は退屈か?現実は適当か?安心しろ。それでも、生きることは劇的だ。
ひとり暮らしに戻ったら、SNSに浸るか孤独死する自信がある。
「なぜシェアハウスに住んでいるのか?」
かれこれ人生の半分近く住んでいる身からすると当たり前のことすぎて、いざ訊かれると考え込むものだ。30個ほど理由が出てきたのだが、多すぎて全部紹介するかとても悩む。だがせっかくだし、ずらっと書いておくことにする。
早く本編に進みたい方は、読み飛ばしていただいても結構だ。
【住む側】なんかシェアハウスって、銀魂とかドタバタコメディに似てる。
【住む側として】
・面白いから
・こんなところでしか出逢えない人間と出逢えるから
・社会に染まらなくて済むから
・自分の価値観が許容されるから
・自立した人間たちと住むのは楽しいから
・交流に手間がかからないから
・変化と成長の手段としてとても自然で効率がいいから
・地域に友達がいなくても友達ができるから
・深い関わりになろうと思えばなれるから
・一緒に住んでるっていう特別感があるから
・距離を詰めたり近くなるのが簡単だから
・自分ひとりでは思えない発見や新しい刺激が相互交流の中に生まれるから
・退屈しなくて済むから
・大人になっても友達ができるから
・女の子とも自然に会えるから
・珍しい人間に会えるから
・深い話ができるから
・時間と場所を気にしなくて済むから
・夜までゲームして朝まで話して、およそ好きなときに絡めるから
・人生を見失わなくて済むから
【提供する側】我儘に自分が欲しいものを作ったら、人が喜んでくれた。最高じゃん。
【提供する側として】
・人の成長手段としてとても面白いと思うから
・人の成長に貢献できるから
・ドラマのような暮らしをリアルに提供できるから
・物語が生まれるから
・心の深いところで感謝されるし、めちゃくちゃ喜んでもらえるから
・「人の営み」を生活レベルで生で見られるから
・心の回復、癒やしが生まれるから
・モラトリアム、少し立ち止まって再選択する場が与えられるから
・そこからでも人生を始められるから
・その「迷っている人」「再選択している人」「定まって動いている人」が同相で同居しているから
・コミュニティを形成することで、人間的な喜びを寄与できるから
・人間関係を整えることで、それぞれなりのすごい喜びを感じてくれるから
・与えたものが、生活や感情として返ってくるから
・人の進化が見られるから
・生きている人間に戻って、生きた人間と生きていけるから
・仲間ができるから
・個人主義な僕が「この仲間たちと生きていきたい」とすら思えるから
これを全部読んでくれた人はとても物好きな人なのだろう。こんな人間を面白いと思うのならば、あなたはきっとまたたび向きだ。読んでくれてありがとう。
全然共感できない人も大丈夫。僕が変わり者なだけだ。
さあ、本編へどうぞ。
【本編ここから】たったひとりでもいい。こんな自分を心から受け入れてくれる人がいれば。その人生は、生きるに値する。
そもそもの理由と、今尚続ける理由がある。
そもそもは、僕が世界一周の旅の最中で「もうひとりではこの世界を生きていくことに喜べないと感じたから」だ。
そして環境的なきっかけとしては、「世界一周を終えて帰ってきた僕には実家に居場所がなかったこと」と「たまたま東京での大学生時代に、風変わりな若者たちが自立して住む面白いシェアハウスに出逢っていたから」だ。
「たく、またたびを作ってくれてありがとう」と涙した女の子の言葉が、今も胸に響いている。
20歳で創業して、今年で11周年を迎えた。
30代に突入して尚シェアハウス事業を続ける理由は、「こんなにもまたたびの居場所を喜んでくれて、必要としてくれて、感謝してくれている人たちがいるから」だ。
そしてもうひとつは、「この社会においてそんな”安心して自分らしくいられる居場所”なんてものはない。少なくとも僕らが今まで生きてきた中では、そういう”僕らが僕らでいられる優しいかつ楽しい居場所”は他になかったから」だ。
もっと幸せそうな顔して笑ってくれよ。自分に嘘をついた顔して、笑うなよ。
またたびは、クオリティにもこだわる。家ではない。コミュニティとしての、人間関係の質だ。
なぜクオリティにここまでこだわるのかというと、「そういう半端な馴れ合いや半端な笑顔や幸せなフリをした不幸者がいちばん嫌いだから」だ。嘘なのだ、それらは。フェイクで誤魔化しているに過ぎない。
「俺は本当に幸せになりたいし、心から幸せでいたいし、あなたも心から幸せだよって笑っててほしい。まっすぐな眼をしてそう言ってほしい。」心からそう思うのだ。
僕は、中途半端がいちばん嫌いだ。それは人生の嘘だから。
花火ではないけどね。焚き火のような灯りがあなたまで届きますように。
なぜそれを更に拡げようとするのか、というとこれは割と簡単な理由で。
単純に「そんな居場所がこの社会にはあんまりないから」。
もっと言うと、僕は幸い人生の要所要所で「それ」に巡り会えたから幸運だったと思っている。でも、もしなかったとしたら、どこかで適当に満たすか、もしくは途中で絶望して死んでたかもしれない。本当にそう思う。
自分がそういう「居場所があってくれて本当に助かった」からだし、その「本音を話せる場所、自分でいられる場所、自分を受け入れてくれる場所」ってのはもっとあっていいと思うから。
たぶん、というより普通に思うのだけど、普通に生きてたらそんな場所なんてないでしょう。望まれる自分や好かれる自分、偽りの自分を演じることが大半でしょうよ。僕は、あんまりそういうのが好きじゃないのだ。人類みんなに対してそう思うけれど、特に若者に対しては強くそう思う。心の純粋なやつらが、純粋じゃいられない、濁ることを強制されるのはとても嫌なのだ。
だから、拡げて、届くようにしたい。そういう人たちの目に届くようにしたい。望むなら、入れるようにしたい。
世界は平凡か?未来は退屈か?現実は適当か?安心しろ。それでも、生きることは劇的だ。
純粋に住むだけなら「ひとり暮らし」や「実家」で充分で。
純粋に成長したり自分を変えたいなら「学校」や「旅」で充分で。
純粋に人と関わりたいなら、「コミュニティへの出入り」や「サークル」でも「マッチングアプリ」でも充分だ。
だけど、「シェアハウス」には、そのすべてがある。
特に、またたびのように理想を高く持って、信念を貫き続けている家族型シェアハウスには、そのすべてがある。一度に3つ手に入る。超お得だ。
住み方を選ぶことで、「住まい」も「変化や成長」も「楽しい人との関わり」もすべてが手に入る。実に合理的だ。もし自分の時間が欲しいならば、それは自室やカフェでも散歩でも手に入る。
それでも、シェアハウスの本質は「ドラマチック」だ。
家に帰れば誰かがいる生活は、自分ひとりでは起こし得ないドラマをもたらしてくれる。誰かに無理やり変えられるわけでもなく、自分が変わらなきゃいけないと焦るわけでもない。生活が、とても自然な速度で変わっていく。歩くような速さで。
そしてそれはいつしか、人生を変えるということになる。
だから僕は、そんなこんなの理由で、大きく見れば一石三鳥の「家族型シェアハウス」という住み方を、これからも提案し、魅了し続けていきたい。
最後まで読んでくれて、ありがとうございました。