福岡シェアハウスまたたび創業11周年!キャンペーンとは別にいろいろ語ります。

福岡シェアハウスまたたびが11歳になりました!

こんにちは、代表のたくやです!
2021年7月7日をもちまして、福岡シェアハウスまたたびの運営会社「株式会社天晴れ(あっぱれ)」が創業11周年を迎えました!

いやぁ、めでたい。こんなに長くひとつのシェアハウスが存続できているのも、ひとえにみんなに愛してもらっているおかげです。本当にいつもありがとう。

あと、ひとつだけ言わせてください。

どんだけ長いこと9周年貼ってんだ!!更新しろ!!!

ふう。さて。

僕が20歳のときに創業したので、「10代20代限定!若者向けシェアハウス!」と銘打っておきながら、いまや立派な30代に突入しました。…いや、おっさんではありません。心と見た目が大事なのです。シェアハウスまたたびは30代前半の方も歓迎いたします。笑

またたびは、日本のシェアハウス文化の礎になりたい。

「10年ひと昔」と言いますが、僕が創業した2010年の頃って、まだシェアハウスってものは全然世の中に認知されていなくて、不動産屋さんを訪ねるたびに「え、女の子も一緒に住むの?」「お風呂とトイレも一緒?大丈夫なの?」といろんな心配をされたような時代です。

「シェアハウス」と「ゲストハウス」の差がみんなわからずカオスに混在しているような状況で、全国的にもめちゃめちゃ少なかったと思います。福岡でも当時ネットで調べたら3件しかヒットしなかった記憶があります。笑

今ではテラスハウスの影響であったり、シェアサイクルなどシェア文化の発展のおかげで、多くの事業者が参入したり、友達同士で部屋を借りるのも割と一般的になってきました。

嬉しい限りです。
というのも、またたびの創業の想いのひとつに、「日本のシェアハウス文化の礎をつくる」というものがありました。

シェアハウス?何それ、美味しいの?ってそんな時代もあった。

僕が初めてシェアハウスというものに触れたのは19歳のときなんですが、そのときまでは「ひとり暮らし」か「結婚して一緒に暮らす」が当たり前で、それ以外の選択肢なんてないと思っていたのです。現にその当時の僕もまた、ひとり暮らしをしていましたし。

しかし、とある遊びイベントに参加していたときに「俺、シェアハウスに住んでんだよね。遊び来る?」と誘われ、「何だそれ。聞いたことねぇ、面白そう。(脳筋)」と思った僕はひょいひょいと付いていき。
そこで出会ったのが、風変わりな若者たちが自立して一緒に暮らす東京のシェアハウス「むらびと」という場所でした。

「秩序」と「衝撃」

信じられませんでした。
当時の僕は、完全に人というものを舐め腐っていたクソガキだったので、「こんな金髪やら茶髪の兄ちゃん姉ちゃんたちが一緒に暮らしてても、どうせ好き勝手やるし、家も汚くなって、共同生活なんて成り立つわけがねえ」と内心でこき下ろしていました。

しかしその実情は、全く違ったもので。
確かに男性陣はゲームやらタバコ吸ったりで「おお、たくやもこっち来いよ~」とお気楽なものでしたが、違う観点から見れば、新しい人を排除するような排他的な雰囲気などまったく感じさせない「ゆるいウェルカムさ」がありました。

一方、女性陣はと言うと、「お、どっから来たの~?」「何歳~?」などと可愛がるように歓迎され、生活面においては「もー、〇〇(あだ名) 皿洗ってよ~」「私これやっとくから、ゴミ出しお願いね~」などと男性陣を上手に手玉にとっていたのです。

僕は、驚きました。
そこに「秩序」があったからです。

あくまで”若者ならではの”という言葉がつくとは思いますが、確かにそこには

若者同士の助け合いが、
彼らが自分たちで決めた規律が、
そして何より、ゆるいノリでも「ちゃんと一緒に共同生活をやっていこうね」という目的に従った秩序がありました。

それを、家族と呼ぶ。

それだけでも僕にはとてつもない衝撃だったのに、そのうえ彼らはこう言いました。

「俺らは、住んでるやつのこと、”家族”って呼ぶから。」と。

またしてもクソ生意気でゆるい友情なんか糞食らえだと尖り切っていた僕は「ハッ、”家族”だなんてよくもまぁ…。気持ち悪っ。」とやっぱり小馬鹿にしていました。(態度が悪くてすみません)

しかし、それでもなぜだか居心地の良い場所であることには変わりなく、また普段では出会えないような面白い人たちが集まっていることにも気を惹かれ、そのおうちに2日通っては自宅へ帰り、3日泊まってはひとり暮らしの部屋に戻るという生活を続けました。

おかえり

そしてあるとき、僕は急に
「海外の人たちは、自国の政治がどうとか経済をどう思うとか、若い人でもはっきりと語れるらしいじゃねぇか!世界一周に行く前に、日本のことをちゃんと知って、知ってる範囲だけでも日本のことを語れるようにしないと!」とか言い出しまして。そして急遽「ヒッチハイクでの日本縦断」の旅に出ていきました。

1ヶ月後。

東京に戻ってきて、シェアハウスに久しぶりに顔を出した僕に、住んでいた住人の女の子がドアを開けて、開口一番、とびきりの笑顔でこう言いました。


「 おかえり! 」


なぜだか僕は、この瞬間にやられてしまって。
理屈は全然ないんですけれど、どうしようもなく、思ってしまったんです。


「 ああ、これが家族かぁ… 」と。


この人たちは、僕が内心でどう思っていようと、生意気で小馬鹿にしているにも関わらず、ずっと僕のことを受け入れてくれていたんだなと、そのとき唐突に理解しました。同時に、斜に構えて人を小馬鹿にしていた自分の小ささと、その何倍も大きく包んでくれていた彼らの器と愛情を。

意地になって、「家族だなんて」と小馬鹿にして受け入れていなかったのは僕だけで、彼らはずっと僕のことを生意気なガキだと知りつつ、「家族」として受け入れてくれていたんだなと、沸々と感じました。

「そっか、シェアハウスだと、他人でも、家族になれるんだ。」

おそらく、そんな感じだったと思います。
旅に疲れて、帰ってきたばかりのぼうっとした頭で、それでもその不思議な感覚だけは、よく覚えています。

世界から見ると、日本ってめちゃくちゃ特殊な国だと思ったよね。

そんなこんなを経て、誰かに迎え入れられるという経験を経た僕は、ついに世界一周へと旅立ちました。

世界を廻って驚いたことのひとつが、「あ、シェアって日本にないだけで、世界中ではこんなにあるんだな。」という新鮮な感覚でした。

アジアでは多くの人が乗り合いのタクシーやトゥクトゥクを使っていたり、ヨーロッパでは旅連れた人たちの紹介でシェアハウスに1週間単位で泊まらせてもらったこともありました。

アメリカでは現地に留学している大学時代の友人のツテを多く辿ったのですが、そのほとんどが学生寮で2人部屋、もしくは一般の大家さんが学生向けに貸し出している一軒家を5~8人でシェアするというスタイルでした。

もちろん日本人だけでなく、外国人や現地人の方でもそうしているようです。

理由を尋ねると、「だって、そういうもの」だそうで。
シングル向けのアパートメントはあるにはあるそうですが、やはり割高らしく。向こうでは学生時代はシェアするのが、割と当たり前なんだそうです。

いつだって、ないものねだり

長いひとり旅に疲れていた僕には、その「シェアする触れ合い」や「賑やかなあたたかさ」が愛おしくてたまらないものでした。そしてまた、未成熟なはずの若者たちが共に暮らしていくなかで、助け合い、刺激し合い、いろんな苦楽を分かち合い、楽しみながら、気付けば自立していくという構造にも深く感じるものがありました。

知れば知るほど、それはまだ日本にはないものだらけで、いたく感動したことを覚えています。
しかし、それは、帰国した日本にはないものでした。

さらに折の良いことに、旅から帰ってしばらく経った頃、僕は実家にも居場所がありませんでした。

ない。
居場所がない。
あたたかい居場所がない。

このままでは生きていけない。
ひとりでは生きていく意味がない。
好きな人たちと、一緒に生きたい。

自分を受け入れてくれる人たちがいれば、
大好きな友達と一緒に住むことができれば、
そうだ、シェアハウスをやることができれば…。

時はふたたび現代へ

11年前、福岡シェアハウスまたたびの始まりは、こんな形でした。

今では多くのシェアハウスが日本には存在していますし、昔のアンダーグラウンドだったイメージから、綺麗だったりシステマチックだったり、だいぶ日本の世の中に受け入れてられてきたように感じます。

ただ、僕がその昔、シェアハウスに見出したのは、何よりも「人のあたたかさ」です。家族ではない、しかしまるで家族のような。人の支え合い、にぎやかさ、あたたかな喧騒です。

僕はもっと、「あたたかい場所」をつくりたい。


そんな”あたたかい居場所”は、今、日本にどれだけあるのでしょうか。

シェアハウスは増えましたが、”あたたかい居場所”はどれほど増えたのでしょうか。
SNSやインターネットは発達しましたが、「自分が受け入れられている」と感じる人はどのくらい増えたのでしょうか。
新型コロナが席巻し、おちおち人に触れることも出来なくなった現代には、どれほどの「ほっとできる居場所」があるのでしょう。

福岡シェアハウスまたたびは、確かに11周年を迎えました。
それは、とてもおめでたいことです。感謝感激雨あられです。
住人たちにも、OBたちにも友人たちにもお祝いしてもらって、すごくすごく嬉しいです。

ですが、僕は、もっと「あたたかい場所」をつくりたい。

願わくば、世の中で「シェアハウス」というものが、もっと当たり前の選択肢になってほしい。
「シェアハウス」という言葉のイメージが「一緒に住む」というだけでなく、「新しい交流」「あたたかい居場所」「他人同士の、家族のような賑やかさ」「未成熟な若者たちが、相互扶助を経て自立していく場所」として一般認知されるようになってほしい。
そんな住み方が文化として定着し、300年続いてほしい。

本当の本当は、そんなふうに思っています。

この素晴らしい世界に、シェアハウスを。

家族型シェアハウスは、素晴らしいものです。

なぜなら、「家族」という呼称を「気持ち悪い」と吐き捨てたこの僕が、いつのまにか惚れ込んでしまい、いつのまにかそれを事業という生き方にさえして、事業にしたにも関わらず、11年間も懲りることなく、今なお一緒に住んでいるからです。

人間と人間ですから、一緒に住んでいれば、そりゃいろんなことが起こります。多少のケンカもいざこざもあります。仲の合わない人も出てくるでしょう。

でも、そんなデメリットを吹っ飛ばすほどの大きなメリットもあります。
それが、「ドラマよりドラマチック」と「人のあたたかさ」です。

シェアハウスとは、大学に似ています。
何かをしてもらおうと思って行ったら、大して何もないと感じるものです。しかし、自分から求めて行けば、あらゆるものが応えてくれるでしょう。

ぜひ求めてください。
「あたたかい居場所」を。
「ドラマチックで、自由な生き方」を。
「野良猫のような若者たちとの、にぎやかな生活」を。

僕たちはこれからも、家族型シェアハウスまたたびとして、「あたたかい居場所」と「自由な生き方」を作るべく、邁進し続けていきます。

あなたが、僕たちのにぎやかな喧騒に加わってくれる日を、楽しみにしています。

創業11周年を迎えて

株式会社 天晴れ
代表取締役 渡辺拓也